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死刑執行 [政治]

民主党政権の下で初めて死刑執行があったと報じられました。

大臣は行政組織の長ですから、法律に従って職務を行う必要があるでしょう。ただ、政治家が大臣になっているからには、法制度に疑問があれば、いったん立ち止まって議論を喚起するのがその役割のはずです。

法務大臣は就任後の早い時期に、外から見えるような議論の場を形成すべきでした。
そのような動きがないのに、いつまでも法を背景にした仕組みを止め置くのには無理がある。ましてや、選挙民から退場を求められた後では、官僚の作った書類に署名するしかなかったのでしょう。
署名するから研究会を立ち上げろというのは、順序がめちゃくちゃなように感じます。
これが『政治主導』なのでしょうか?

新聞には抗議声明を読み上げる死刑廃止議連の事務局長の写真が載っていました。
役所に抗議する前に自分たち議員の不作為を悔やまなければならないのではないでしょうか。
国会議員が法律を改正すれば、役所はその法律に従って動くんです。
議員連盟とか言って、主張の似通った仲良し同士で群れているだけでは意味がありません。
すんなり法改正が実現しなくても、国会の表舞台で反対派とも議論して論点整理を図ればいいじゃないですか。議論が表立って進行していれば、法務省は立ち止まらざるを得ないはずです。

新聞の写真に写っていた議連事務局長は村越祐民氏という民主党の衆議院議員ですが、法務省で議論が始まるのを期待して見守っていたのでしょうか?
そんなことでは、自民党時代の官主導の仕組みから抜け出す事など出来るわけがありません。

 


首相交代 [政治]

また、看板の掛け替えです。
9月の恒例行事のようになっていましたが、今度は12カ月間保ちませんでした。

自らの語った方向に向かって必死に努力したけれども力が及ばなかったというよりも、耳障りの良いことを口走ってみたけれども何をすれば良いのか分からなかったと映る状態ですから、当然の成り行きかもしれません。

今必要なことは、鳩山体制の何が不適切で、それをどのように修正していくのかを整理することではないでしょうか。
人が変わったからめでたしめでたしと課題が解消されるわけではありません。

・政治と金
議員の知らぬ所で秘書が刑事責任を問われるような行為を行った個別で特殊な事例であり、議員が役職を退いたことで一件落着。改めて仕組みを見直す必要性はないというのでしょうか?

・米軍基地移転
出来ないことをペラペラしゃべって混乱を招いた点が問題なのであって、政府方針は適切。混乱の元が去ったのだから仕切直しは不要なのでしょうか?

もし新体制が上記のような立場に立つのであれば、やることに大した違いはなく、7月の選挙で掲げる写真を変えたかっただけということが、透けて見えてきます。

そもそも民主党は、自民党政権時の首相交代を「政権のたらい回し」と批判していたのではないでしょうか。
あれは当時の役員が思いつきでしゃべったもので、党の考えではないと稚拙な説明を繰り返すのでしょうか。
筋を通すなら、新体制は急を要する事柄にしっかりとすばやく対応して、総選挙を実施するのが自然な流れだと思います。


小沢問題って何だ? [政治]

ここしばらくの間、世間では焦点のぼやけた空騒ぎが繰り返されているように思えて、ブログを書くのをためらっていました。

この問題が騒がれ始めた頃には、一政治家が公共事業を思うがままにコントロールし、仕事を受注したい建設会社から多額の金銭(金に色は付いていないとはいっても、税金から支払われた工事代金の一部と見るのが普通だ)を受け取っていた、という構図が描かれていたはずだ。
金銭授受の場における、関係者のセリフまで生々しく記述した新聞記事もあった。

それがいつの間にか帳面の書き方の問題となり、どうでもいいようなごたごたが繰り広げられている。

いつまでこんな事を繰り返すんだ。

『政治家に環流させる金まで含めて、公共事業に税金をつぎ込んではならない』この意識を持って取り組んでいる人はどこにいるのか?

野党は追及を続ける姿勢らしいけれども、手から滑り落ちた打ち出の小槌を取り戻したい人たちばかりなので、本質的な部分を明らかにしようとはしない。

報道陣も、検察当局からの伝聞ではなく独自の取材で事実を把握して報道していると言い張るのならば、検察の動きに関わりなく「こんな事が行われていいのか」と独自に確認した事実を書き続ければ良いではないか。辞任すべきかどうかなどと世論調査とやらを行っているヒマがあったら、問題意識を整理し直して改めて取材に出かけるべきだろう。

騒ぎの中心にいる本人は「不正な金を受け取ったことは一切ない」と言っている。
それが本当ならば、金銭のやりとりがあったと書き連ねた新聞に対して憤りを感じないんだろうか。新聞社を相手に訂正と謝罪文の掲載を求めるのが、当然の態度じゃなかろうか。

ぼくにはよく意味の分からない光景ばかりが展開されていて、呆然と眺めています。


芝居を打つ駐米大使 [政治]

前回書いた記事が、的外れではないように思われる。

日本の大手メディアは、クリントン国務長官が異例にも日本の駐米大使を呼び出して米国の考えを早期に受け入れるよう申しつけたと報じた。

在日米軍再編:普天間移設 米国務長官、現行案の受け入れ要請 異例、大使呼び(毎日新聞)

「さあ大変だ、アメリカが怒っている。辺野古に滑走路を造る計画をさっさと進めないととんでもない事態に至る。」
と、日本のメディアは緊迫している。

ところが、米国国務省の発表しているプレス説明の要旨を(英語だけど辛抱して)見て欲しい。
Crowley氏というAssistant Secretaryが記者に説明をしているのだが、
" I think the Japanese ambassador came by to see both Assistant Secretary Kurt Campbell, stopped by to see Secretary Clinton. "
"came by", "stopped by"という言葉で日本の大使が来たことを表現している。

すかさず記者が「呼び出したのでは?」と質問した。
答えは、
" I don’t think he was called in. I think actually he came to see us. "
「(大使は)呼び出されたのではない。彼がわれわれに会いに来たのだ。」

自ら訪問したのに、なぜ「異例にも呼びつけられた。重く受け止めたい。」と語るのか? しかも事前にテレビ局に連絡してあったらしく、雪の残る役所の前で自動車から降りるシーンがしっかりと放送されていた。

Crowley氏は「現行計画が最適だと(唯一とは表現していない)引き続き考えているが、日本政府はもう少し時間がかかると言っている」と冷静に受け止めているように見受けられる。

外務省は、こんな手法を使ってまで世間を誘導しようとするのか。
米国国務省を訪問するということは、まさか駐米大使の独断ではなかろう。こんなサル芝居興行を、岡田外務大臣も官僚の言うがままに了承したのだろうか。


普天間移設 [政治]

とても小さな記事だけど、この数か月間の報道の中で最も重要で、核心にふれている記事ではないかと思う。
少ない文字数なので、全文引用しておこう。

 岡田外相:海兵隊の全面的なグアム移転案を否定(毎日新聞12.19)

 岡田克也外相は18日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を使用する米海兵隊について「抑止力を期待したいなら、日本を出てくれというのは通用しない」と述べた。社民党などが主張する海兵隊の全面的なグアム移転案を否定した。

 岡田氏は「沖縄のほうが北海道や本州よりは戦略的な場所からいうと優位性があり、ベターだ。(海兵隊を)全部移すのは相当のエネルギーだ」とも述べ、普天間飛行場の移設先は県内が望ましいという考えを改めて強調した。

これまで米側と行ってきた外務・防衛両省の交渉目的は、「どうすれば米軍基地が引き続いて日本国内、それも沖縄県内に留まってくれるのか」だったということではないのか?

「やっぱりな」という気がする。

8月の記事にも書いたが、日本政府は、米軍の核兵器軍縮の考えを押し止めようと申し入れをしたと報じられている。
三沢基地をはじめとする在日米軍の戦闘機配備数削減の動きを知ると、それを打ち消すべく活躍したこともいくつかの地方紙が記事にしている。

前政権時代から続く官僚たちのこのような方向性は、全く揺らぐことなく引き継がれているらしい。
だから、官僚たちからネジを巻かれた外務大臣と防衛大臣は、就任直後から現行計画を大きく変更することに後ろ向きだった。

昔の外交密約を公にするとみえを切りながら、今も国民への説明とは異なる外交を繰り広げているということだ。

「米国が納得しない」とか「米国は怒っている」などと騒いでいる言説は的外れであって、日本の官僚が満足するために現行の計画どおり推進するのが望ましいということだ。

沖縄県民の思いを受け止めながら県外・国外への移転も模索すると首相が本気で言っているのであれば、交渉窓口をすげ替えるくらいの指導力を示さないと検討のスタートラインに立つことすら出来ないのではないだろうか。


子ども手当 [政治]

子ども手当って少子化対策なの? それとも、低所得世帯支援策なの?

今でも閣僚内で「所得制限すべきだ」と声があがり、それに対する答えは「支給事務が繁雑になる」から困難という議論がつづけられているようです。
少子化担当大臣も、以前に所得制限を設けることに賛意を示していたと思います。

所得の多い世帯は少子化の傾向はないと、あるいは、失業や貧困があまり大きな社会問題になっていなかった頃には少子化の傾向は無かったのだというのが、閣僚の皆さんの認識なのでしょうか?

「子どもは社会の宝。子育てを社会全体で支えていきましょう」という理念の下に考えられた政策ならば、「金持ちの子は社会の宝ではない」と差別する必要はないでしょう。どうしても区別するなら、その代わりに職業・地位の世襲や裏技を使った世代間の資産移転などを堂々とできるようにする必要はありませんか?

確かに経済的な理由で学業に支障が出ている子供たちが増えていて、そこにはきちんと手を差しのべる必要がある。
でもそれは、少子化とは問題を切り離して、目の前の傷口を繕う対策と貧困を継続させない対策とをしっかりと考えるべきでしょう。

ふたつの問題をごっちゃにして、一度にふたつの仕事をしたような錯覚におちいるのはやめた方がよい。

今のような議論をしているようなら、『子ども手当』なんていう名前はやめて、少子化担当相を外して厚労相だけの所管とし、貧困世帯対策として制度を描き直すべきだと思います。


ノーベル平和賞 [政治]

鳩山首相が韓国と中国に向かったというニュースを聞いて、朝鮮半島の核問題に出口を見いだすことが出来たら世界中から祝福を得られるんじゃないかなとチラッと考えていました。しかし、9日夜に伝えられたニュースは、見つめる先が朝鮮半島だけではありませんでした。

「まだ何も成し遂げていないじゃないか」と批判はあるのでしょう。
でも、明確なビジョンを示して、これまで不安を抱えたまま進むしかないとあきらめていた人々の心に希望を広げたのは確かなのではないでしょうか。

医学などの自然科学分野では、自説の証明をしっかりと”成し遂げる”ことが求められるのでしょうが、平和賞では別の評価軸があって良いのだと思います。
委員会から発せられたメッセージは、「立派な仕事をしましたね、ご苦労様」ではなくて「今後も目標に向かって一緒に走りましょう」という意味合いが強いことは明らかです。授賞を発表した記者会見でも「われわれは支援をしたいのだ」と語られていました。

ひとつの事で全てを賞賛するということではなくて、賛同できる部分には賛同の声を上げて少しでも後押しをしたいと思います。
もしかしたら、オバマさん自身にも少々重荷に感じる所があるかもしれない。北欧からもたらされる知らせなら、シカゴ・オリンピックの方が良かったと思っているかもしれない。
しかし、歓迎の声を大きくすることで、「辞退します」などと後ろ向きの態度をとることは許されなくなる。

望ましい方向への取り組みには賛意を示し、核兵器削減の流れを押しとどめようとする日本の外務・防衛官僚のうごめきや政治家の被爆地における不適切な発言には批判を加える態度を維持したいと思います。


新政権 [政治]

鳩山内閣が発足して、これまでとは違った側面で慌てている人たちもいるようです。
面白がっているだけではいけないのでしょうが、気になってしまいます。

いくつか書き留めておきましょう。

役所の事務次官による記者会見を禁止としたらしい。これはどうなんでしょう?
確かに、この選挙期間中に財源の問題や農家への個別所得補償などで官僚から後ろ向きの話がたれ流されていました。これは、公務員による特定の政党への肩入れなのではないかと思ったりもしました。

官僚が都合のいいように議論を誘導して抵抗を図ることを警戒して、会見禁止としたのでしょうが、少し違うような気がします。
すでにボスは入れ替わっているのですから、賢い官僚の皆さんは役所でのオフィシャルな記者会見で余計なことを発言したりしないでしょう。保身術には長けています。
また、官僚側から批判的な発言があったとしても、それを乗り越える議論が出来なければ、『政治主導への転換』はかけ声だけのものとなるでしょう。
発信の場を物理的に封じるというのは、適切ではないように思います。

この件に関しては、省庁の広報機関としての役割に慣れきった大手メディアの情けなさも見ることが出来たように思います。
各大臣の就任会見において、「どうして次官会見を止めちゃうの?」としつこく何度も聞いていました。
「横並びの会見など無くてもよいが、政府の透明度を高めるために独自の取材を強化させてもらうので、必要な資料の提供など今まで以上の配慮をしてくれるんでしょうね?」くらいのことが言えないのでしょうか。

 

会見といえば、民主党は記者クラブ制を打破してオープンなものにすると言っていたはずですが、16日はこれまでどおりの体制で行われたようです。
岡田外相は開かれた会見の場を持つと言っているようですから、首相官邸の方も準備が整い次第オープンになるのだと期待したいものです。
もし、一部で言われているように既得権を手放したくない大手メディアから「われわれに逆らうと痛い目に遭いますよ」と助言(恫喝と言ってはいけないんでしょうね)があって、方針を変えたのだとしたら方針変更の理由を説明するべきです。

 

もう一点。
鳩山首相は16日の初会見において早々に、西松の一件に関して以前『国策捜査』と表現したことを撤回した。
これは良い。
意図的で不適切な捜査と決めつけて、検察に影響力を行使することはないということだろう。
検察は思う存分自らの主張を展開しなさい、と勧めているのだろう。
今後行われる秘書の裁判で、検察の主張が全面的に認定されないと検察は苦しい立場に追い込まれる。
なにせ、政党の党首が辞任しているのだから。


親分に怯える新聞 [政治]

前の記事をアップした後で探してみたら、8月29日の朝日新聞がしっかりと記事にしていました。

『日本国内の雑誌等』と書いた時には、血気盛んな人たちに人気の雑誌を想定していたのだけど…。

この新聞の今の立ち位置を象徴しているように思えます。


対等な関係 [政治]

8月27日のNew York Timesに鳩山由紀夫氏の論文が掲載されたらしい。

「米国主導のグローバル経済が、従来の経済活動を阻害し地域社会を崩壊させた面もある」などと述べ、新自由主義経済の負の面を指摘したりしている。

Another national goal that emerges from the concept of fraternity is the creation of an East Asian community. Of course, the Japan-U.S. security pact will continue to be the cornerstone of Japanese diplomatic policy.

But at the same time, we must not forget our identity as a nation located in Asia. I believe that the East Asian region, which is showing increasing vitality, must be recognized as Japan’s basic sphere of being. So we must continue to build frameworks for stable economic cooperation and security across the region.
「日米安保は日本外交の礎石」と前置きしつつも「アジアに位置する国であることを忘れるべきでない」とし、「友愛という思考が目指すもののひとつとして東アジア共同体の創設がある」と述べている。

この文章が米国でどんな風に受け止められているのかな、と思って見てみるのだけれど、今のところホワイトハウスも「強固なアライアンスと親密なパートナーシップが継続すると確信する」と声明を出しているし、ことさらに論文を取り上げて憂慮を示す報道が目立っているわけでもない(ぼくの検索できる範囲は狭いからどこかに批判はあるのだろうけれど)。

でも、日本国内で「今後とも世界は米国一極の下で統治され、日本は米国の威を借りて中国をねじ伏せ、アジアににらみをきかせてゆく」という世界観を持っている人たちにとっては、驚天動地の論文なのではないだろうか。

この先きっと日本国内の雑誌等で、「あんな事書いたら親分の機嫌を損ねてしまうではないか」という批判が行われる。

共存共栄するアジア諸国という理想があるならば、それを語って悪いということはないと思う。
自分の目指す方向はそこだと明示したうえで、現状への対応について話し合うことで『対等な関係』が構築されていくのではないだろうか。

鳩山さんは今月中に国連へ出向くらしいから、その時に米国が怒りと警戒に満ちた対応をするのか、それとも親密なパートナーとして出迎えるのか、よく観察することにしましょう。


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