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「放射能とナショナリズム」(書籍) [社会]

この本を読んでみた。

放射能とナショナリズム (フィギュール彩)

放射能とナショナリズム (フィギュール彩)

  • 作者: 小菅 信子
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 2014/02/18
  • メディア: 単行本


裏表紙の文章を引いておくと

政府や東電、学者に対する強い不信と、
マスメディアや論壇の機能不全により、
いま日本を<不信の連鎖>が覆いつくそうとしている。
原発推進派のレッテル張り、反原発美談、
原子力をめぐる「安全神話」から「危険神話」への単純なシフト。
「安心神話」への逃避。
これは、原子力の神話化がより強化されただけではないのか?

いま日本を呪縛する
「放射能による不信の連鎖」を断ち切るための提案とは。
深い思索の旅に誘う本。

ぼくも2012年10月に、『フクシマ』という表記を批判的にとらえた事を書いているので、この本には共感するところが多かった。

「おやっ」と思ったのは、放射性物質の恐怖を非科学的に煽り立てる山本太郎的・東京新聞的・美味しんぼ的な言論と脱原発・反原発論をほぼ等号で結んでいるように感じたことだ。
ぼくは2012年3月に「脱原発運動らしきもの」と表現をして、そんなのはニセの脱原発だと書いているが、今になってみればこれは間違いだったと考えるべきだろう。
ああいう言動をきっぱりと批判しつつ冷静に原発のあり方を思索することは、この国では出来なかった。
もちろん専門的な立場から細々と活動している人もいるが、そのような論考には『脱原発大衆』から『隠れ推進派』とレッテル張りが行われている。

現実に事故が起き、その現場の修復に必死に取り組んでいる者、現状の環境でのリスクを評価しその環境下での暮らしを成り立たせようと努力している者 -例えば、確かにセシウムが降りた圃場であっても、そこで育てた作物にはセシウムの移行が無いことを手間と費用を費やして科学的に確認して営農している人- の視点に立った時に、プロメテウスなどを持ち出して放射性物質は人類が一切触れてはならない物だとおどろおどろしく『危険神話』を印象付ける言説など何の役にも立たない。
軍用ヘリコプターに事故の可能性があれば、イカロスの翼でも持ち出して印象操作するつもりなんだろうか。

本に戻って…

私の憂慮と関心は、限界状況における人間性の保護と、その後の個人・集団・国家間の関係修復・和解・再会にある。

という記述については「ちょっと待ってほしい」と思う。

著者の本来の研究テーマに沿った記述なのだろうし、長いスパンでは必要な大人の視点だとは分かっている。
しかし、今はまだ砲弾が撃ち込まれ続けている状況ですよ。この砲弾がゼロになるということはたぶん無いのだろうけれど、そういうことをする人たちは非科学的な愚か者だとする社会的評価が広く認識された後で考えるべき事なのではないだろうか。
今日時点でガザの住民に「和解を指向しろ」と説くのは酷なことだと分かってもらえると思う。


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美味しい思いをしたのは… [放射脳]

『美味しんぼ』とかいうマンガが世間を騒がせているようだ。

今更ながらに「福島で鼻血が…」とか「がれき焼却で健康被害が…」などと言っている人たちの『痴的水準』の高さにはほとほとあきれてしまう。

だが『世間を騒がせている』時点で、出版側の思惑通りではないかと思う。
宮城の新聞記事から一部だけを引用しよう。

 福島県内の反発拡大 抗議声明も 「美味しんぼ」被ばく発言

(略)

 福島市内などの書店やコンビニエンスストアなどでは軒並み、12日発売号が売り切れた。
 県庁近くの西沢書店大町店では前日までに購入予約が相次ぎ、12日昼までに完売した。同書店の担当者は「話題になっていることもあり、すぐに売り切れた」と話した。

(略)

河北新報 5.13

ほらっ、出版社の思うつぼ!

今年の年明け早々に日豪プレスというサイトにこの作者のインタビュー記事が載って批判が殺到した経緯があるのだから、現在のような騒ぎになることは出版側も想定内だったはずだ。

ちなみにこのインタビュー記事には、

--東北地方の海産物の多くを今後食べられなくなる可能性も。 
雁屋「恐らく食べられなくなるでしょうね。どうしようもない、とんでもない被害ですよ。山の幸も川の魚も…」

という記述があるから、東北の陸地、川、海で生産された食物全体が危険だというのがこの人の信念なのだろう。

どんな主張が世に問われても良いが、受け手がきちんと判断を下して、とんでもないことを言っている作者・出版社は静かに世間から軽蔑される社会であってほしい願っているが、そんな期待はこの日本には重すぎるのかもしれない。

今度ばかりは大臣なども批判のコメントを出しているようだが、これも「今更ねぇ」という気がする。「京都の送り火に岩手の松を使うな!」とか「沖縄に青森の雪を持ち込むな!」なんて騒ぎがあった頃に毅然と効果的な対処をした政治家がいたならば大いに評価するんだけど、見当たらなかったよ。
それにこの手の『痴的』な人たちは、大臣などから批判されるとますます快感を覚える人たちですよ。

「風評被害を拡大させる」のはその通りなんだけど、東北で食べ物ビジネスを続けたいと考えている者はそんな風評におびえていても仕方がないという所まで追い詰められていますよ。
そういう『痴的』な人たちが決して少ないとは言えない比率で存在し、それはずっと存在し続ける世の中なのだと認識した上で、それを乗り越える努力を重ねなければとっくに全滅している。
この『痴的』な活動の影響は海外にも及んでいて、外国でも産地が原因で忌避されるという苦い経験もしている。

さらにマンガだけを叩けばいいってものでもないだろう。
同様のことを公言して今なおお盛んな大学教員、ジャーナリスト、国政政党等々たくさんいるじゃないか。
以前のエントリーでも言及したが、「大阪でがれき焼却が始まったから心臓がひっくり返った」と大ボラを吹いて参院議員になった男もいる。
『頭狂』…じゃなかった『東京新聞』はこの騒動に関連して、
 <確かなのは「分からない」>
 <被害隠し図る国と県>
 <美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ>
などと見出しを打って、マンガに同調する姿勢を示している。

根本的な対処は出来ずにモグラ叩きのようなことをしていてもさほど意味のあることではないと思う。


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ひとつの節目に(4) [社会]

前エントリーの最後で『責任』という言葉を都合良く語る人たちについて言及したが、賢そうな素振りでマスメディアに登場する人たちは壊れちゃっているんじゃないか?

「脱原発が都知事選の争点だ!」なんて言っている、「東京は巨大な選挙区だからその結果が国策を左右すべきだ」とも。
都知事選の告示後は少し控え目になったが、先週末にも毎日新聞とテレビ朝日がそれぞれ『東京はいかに特別か』と力説しているのを目にした。

『東京都民だけが上級市民なので重要国策の意思決定に参加できる』なんて決まりがいつ出来たんだ?
なんだろね、この特権意識は。
世の中は自分たちだけが回しているとでも言いたげな傲慢さは、世界の中のアメリカ、日本の中の東京の特質なんだろか。

地方が自らの課題解決のために実施した取り組みが、事後的に国の施策に取り込まれるということは確かにあるだろう。しかし、最初から「国策を転換するために地方選に立候補する」なんて言うのは、目的と手段を取り違えている。

統治の領域と権限を分散する仕組みは、政治的なお化けを生み出してしまわないように機能してきたんだろう。
しかし、今のような乱暴な話をすんなり受け入れている状況は、あらゆる事を一人で決めてくれる王様(今は殿様と言った方がしっくりくるか)の到来を待望してるんだろうか。隣の半島の北半分を統治する仕組みにあこがれてるんじゃないのか。

国会議員も「それはオレたちの仕事だ冗談じゃない!」と怒るのかと思いきや、民主党なんかは嬉々として旗振り役になっているらしい。
乱暴な話を垂れ流しているマスコミの幹部やら大学教授やらも含めて、自分が今の役職に適しているかどうか問いなおしてみてはどうか。

あんなことを言っている人物が万が一就任しても何の権限も与えられていないのだが、選挙の時だけ耳障りの良い事を聞かされて社会は何も変わらないということがこうも繰り返されれば、えもいわれぬ不満感が世の中に充満する。そんな雰囲気につけ込む跳ねっ返りの軍人が出現するなどして、社会がカオスに陥る例をたくさん見ているはずだ。日本だけはそうならないと安心しきっていて大丈夫だろうか。

まあ、ここで見たように騒いでいるのは『脱原発』と唱えていれば受けがいいと思っている報道会社と一部の政治屋が中心で、「真面目に都の仕事を考えてほしい」などと街の声が聞こえてくるから冷静に見透かしている都民が少なくないのかもしれない。


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ひとつの節目に(3) [社会]

前々回のエントリーから続く雑感です。

福島県内の除染作業で除去した土壌等の処分場も設置が難航しているようだ。そういう施設の必要性はより一層強く認識されているのだろうが、具体像が見えれば地権者や周辺住人にはやはり戸惑いが生じるのだろう。
考え方が難しくなるのは、施設の性格付けが疑念を生むからだろう。中間貯蔵施設と名付けられ、中間貯蔵開始後30年以内に福島県外で最終処分すると定義されているけれども、先の見通しは全く立っていないし難航は必至だから、「いったん設置すれば結局そこから動かせないのではないか」との懸念も当然だろう。

中間貯蔵という位置づけが本当に良策なのだろうかとは思っていた。埋設した物を後日また掘り返すとなれば、「放射能が飛散したぞ」とはしゃぎ回る連中が出てくるだろうし…。
先日NHKが、中間貯蔵との考え方は当時の菅首相が地元との協議の場で突然言い出したもので、環境省の職員も寝耳に水だったとレポートしていた。
あの党には、口先だけでその場をしのごうとする責任感欠如の人たちが揃っているんだなぁ。

最近「東京には電力の大量消費地としての責任がある」と言う人が大勢いるけれど、そんなに責任を感じているのならこの土の一部だけでも引き取ったらいいんじゃないかね。30年も経てば単なる土として取り扱える部分もあるだろうし…。
なんてね、こんなこと言ってしまうと東京新聞あたりが猛反発するだろうなぁ。


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ひとつの節目に(2) [社会]

前エントリーに続く雑感です。
と前置きして書こうと思っていたのは別のことなのだが、気にとまるニュースがあったのでまずにそのことを…

 障害者グループホーム開設への住民の反対相次ぐ

国は、施設などで暮らす障害者に地域のグループホームなどに移って生活してもらう「地域生活移行」を進めていますが、こうしたグループホームに対する周辺住民の反対運動が、過去5年間に全国で少なくとも58件起き、建設断念に追い込まれるケースもあることが、NHKの取材で分かりました。

国は、障害のある人に地域の一般の住宅で暮らしてもらう「地域生活移行」を進めていて、各地でグループホームやケアホームの開設が進められていますが、周辺住民から反対運動が起きるケースが全国で相次いでいます。
NHKが全国の都道府県と政令指定都市を対象に、過去5年間に起きた反対運動の件数を尋ねたところ、少なくとも58件に上ることが分かりました。
また、精神障害がある人と知的障害がある人の2つの家族会にも同様の調査を行ったところ、全国で合わせて60件の反対運動が起きていることが分かりました。
このうち家族会の調査では、反対運動を受けて、予定地での開設を断念したり別の場所への変更を余儀なくされたりしたケースが36件に上っていました。
この中では、▽精神障害者のグループホーム建設に対して、住民が反対の署名を集めて自治体に提出したケースや、▽障害者に差別的なポスターを予定地周辺に掲示したケース、さらに、▽住民説明会で「障害者が住むようになると地価が下がる」と訴えて建設反対を主張したケースなどがありました。
去年成立した障害者差別解消法の付帯決議では、グループホームの開設にあたって周辺住民の同意は必要ないことが明記されましたが、障害者が地域で暮らすために周辺住民との関係が大きな課題になっていることが浮き彫りになっています。

(NHKニュース 2014.1.26)

「何か似ているなぁ」と思ってしまう。

このニュースにある『反対運動』をやっている人も、グループホーム開設が自分から離れた場所であれば、「結構なことじゃないか、大いにやりなさい」と言うんじゃないだろか。
社民党的・山本太郎的・東京新聞的性根を堂々と主張できてしまう人が、この国には少なくないんだなぁ。


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