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ドイツ訪問記録(7) [ドイツ]

ヴァンセー会議記念館

ベルリン市内から電車S1号線もしくはS7号線のポツダム(ポツダム宣言のポツダムですね)方面行きに乗ると、郊外にヴァンセー(Wannsee)駅があります(S1号線はザクセンハウゼン収容所へ向かったのと同じ路線で、ベルリン市街地を挟んで反対側になります)。ヴァンセー湖という湖があって、水辺で遊んだりヨットに乗ったりするベルリン市民の保養地となっているようです。
駅前から114番のバスに乗って湖岸沿いに10分ほど進み"Haus der Wannsee-Konferenz"という名の停留所で降りると、すぐそばに邸宅の門が見えます。湖畔の静かな木立の中に立つ瀟洒な建物です。

この建物は1941年から1945年までSSの会議場およびゲストハウスとして利用された歴史を持ち、1942年1月20日に15名の高官が集まって、ユダヤ人問題の最終解決策(絶滅)を話し合った場所です。

現在は、当時の人種差別に関する充実した資料を展示する博物館となっています。
出席者の書き込みと思われる跡のある古い文書も見ることができます(ドイツ語がわからないので内容は理解できませんでしたが)。

『誰がユダヤであるのか』の基準として、
・当人の祖父母4人のうち3人がユダヤ教徒ならば、当人はユダヤ人

・祖父母のうち1人がユダヤ教徒ならば、当人はユダヤ系
など(この間はさらに細分化されている)の決め事があったといいます。差別の理由として公然と宗教や生まれを掲げるというのは、その時代であったとしてもおかしな考え方ではなかったのか。
頭の形で区別できるとして、頭部の計測が行われている写真も展示されています。
医学系のテクノクラートが深く関与していたのでしょうか、科学的に裏打ちされているかのように装っていたようです。結論ありきで、全体の妥当性を考慮せずに専門知識を振りかざした悪例です。


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