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ドイツ訪問記録(2) [ドイツ]

ダッハウ強制収容所メモリアルサイト(その2)

 
バラックが並んでいたエリアは二重の柵で囲われ、要所要所には監視塔が配置されていた。

二重フェンスの内側には小さな水路が流れているところもありましたが、これはどんな機能を有していたのだろうか? ここまで近づいてしまった人は、容赦のない銃撃にさらされてしまったのか。

 

バラックエリアから少し離れたところに、クレマトリウム(火葬炉)の建物が残っていました。この炉では増え続ける死体を処理しきれなくなり、隣に新しい大きなクレマトリウムが作られたらしい。

 

バラックXと呼ばれたこの建物の中は、衣類消毒所と称した更衣室の隣にシャワー室と称したガス室(ここでは実際に使われることはなかったらしい)、その隣に炉があって不気味に機能的な配置となっていたのでした。ここの近くでは、塀沿いに立たせたソビエト兵を銃で処刑するなどということも行われたらしいのですが、これもすぐに死体を処理するという不気味に合理的な考えでその場所が選ばれたのでしょう。

ここを管理していたSS隊員達はどんな風に日々の任務にあたっていたのでしょう。相当に陰惨な光景も目にしていたでしょうし、無抵抗の人に向かって銃の引き金を引いた隊員もいたはずです。それでも彼らは交代の時間になれば普通に宿舎に戻ってビールを飲みながら食事をとり、軽口でも叩きながらシャワーを浴びてから休息して、翌日にはまた元気に任務に向かったのだろうか。

このような強制収容所がどうして存在し得たのか、ぼくには納得し難いのです。

『ヒトラー、ナチスが邪悪だったから』
一握りの邪悪な人達がいたとしてもこのようなプロジェクトは成り立ちません。そんなに邪悪な集団であったならば、なおさら、なぜ圧倒的な支持を得ることができたのか。

『元来存在した差別意識がうまく利用されたのだ』
集団で移送される収容者達を目撃することもあったでしょうし、あのように広大な施設が目に付かないはずはなく、中で何が起きているかは薄々ではあっても知れ渡っていたでしょう。差別意識を持っていたとしても、皆殺しにするという考えに本当に賛同できたのでしょうか。多くの人が心の奥底では疑問を持ちながらも、暴走を傍観してしまったのではないのか。

身近なところを見つめ直してみれば、日本以外の国籍の人や女性、障がい者などに対する差別発言を繰り返す人が、批判されることもなく首都の知事の椅子に居座り続け、「引き続いてオリンピック誘致活動を担当してもらわないと」という世論が形成されつつある日本は、かなり危うい状況にあるのかもしれません。(あのような人が誘致演説をして、世界の賛同を得られると信じているのでしょうか)

 

そう、決して繰り返してはいけない。

そのためには、何が起きたかを知るとともに、なぜそんなことが実行されたのかを深く考えなければならないと思うのです。

 

 


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コメント 2

スパイラルドラゴン

>そのためには、何が起きたかを知るとともに、なぜそんなことが実行されたのかを深く考えなければならないと思うのです。
 こんにちは。
日本が第二次世界大戦開戦前に、なぜドイツとの連合を組んだのかについての、深層を記述している本を紹介しますので、機会があればご一読下さいませ。
「長州の天皇征伐・太田龍著・成甲書房」
by スパイラルドラゴン (2006-10-06 08:09) 

angus

スパイラルドラゴンさん、コメントありがとうございます。ご紹介いただいた書籍を探してみたいと思います。
為政者は様々な言説を提示する。中には明らかに間違っている事もある。大事なのは、それが大衆に支えられ(あるいは支持があるように見せかけられ)、暴走に至ってしまうことの無いように、一人ひとりが丁寧に思慮を巡らすことではないかと思います。
by angus (2006-10-07 22:45) 

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